第40回記念総会・懇親会が開催されました

第40回記念総会・懇親会が開催されました

2018年5月13日(日)の11時から、上野精養軒において、東京青高同窓会の第40回記念総会・懇親会が開催されました。

第40回記念総会・懇親会の速報(未ログインユーザー用)

昭和から平成、そして

—第40回 東京青高同窓会 総会・懇親会—

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「東京青中会」を母体にした「東京青高同窓会」の第一回総会・懇親会が開かれたのが1978年5月。以来途切れることなく毎年5月に行われ、本年5月13日には40回目の記念総会・懇親会を開催し、会場の上野精養軒には364名が集いました。

第一部総会は例年通り青中、青高女、青高の校歌斉唱から始まりましたが、今回は歌声が少し大きくなりました。というのも青中、青高女の卒業生の方々の出席が難しくなった昨今、その校歌を歌い継ぎたいという思いから、昨年秋、同好会としてあさづけ合唱団が発足、練習を重ねて今回がそのデビューの場となったのです。指揮はあさづけ合唱団の指導者でもある67回生の丹野空羽さん、ピアノ伴奏は36回生の相馬泉美さんでした(写真1, 2)。

太田校長からは40回記念特別事業の一つとして母校へのイベント用テント3張りを贈り、4月に行われた青森へのお花見ツアーでは早速それが役立ったことなどの報告がありました。後に目録の贈呈も行われました(写真3, 4, 5)。

新任の青森高校校長宍倉慎次先生は同窓の29回生です。校長先生が同窓生となると、来賓あいさつの場の緊張が少し緩むように感じます。青森高校は2020年に創立120周年を迎えるそうです。青森高校同窓会では記念事業の話が具体化しているようで、柳谷会長以下4名の副会長も一緒に登壇されて、120周年実行委員長の沼田さんが寄付金への協力を呼び掛けました(写真6, 7)。

第二部は第40回総会記念公演「太宰治を語る~没後70年によせて」と題して、特別ゲストに太宰治の孫の津島淳氏を迎え、33回生のフリーアナウンサーで太宰作品の朗読をライフワークとされている中村雅子さんが聞き役となり、太宰にまつわる肉親ならではのお話を語っていただきました。家で飼っていた鶏を最後に絞めるのは太宰の仕事で、むしろ得意だったというエピソードは初めて耳にしました。今年は奇しくも没後70年ですが、太宰作品は未だに幅広い年代で読まれ、新たな読者を得ているようです。

後半の朗読の公演は、最初に全編津軽弁で書かれた『雀こ』をお二人の掛け合いを交えながら、さらに中村さん単独での『黄金風景』と続きました。朗読によって作品の情景がリアルに浮かび上がってくるこの稀有な体験を、拙い文章では伝えることができず残念です。 (写真8、9, 10, 11)。

第三部は恒例の賑やかなねぶた囃子に呼び寄せられて始まりました。乾杯の発声は倉光先生、おそらく記録に残る長さだったかと思われ、空のグラスで乾杯!が目立ったような...再会を喜び、近況を伝えあい、昔話に花が咲く、会話がごく自然に津軽弁になるのも40年変わらず繰り返されてきた光景ですが、この先も更に50年60年と変わらずに続くことを願うばかりです(写真12, 13, 14)。

ステージでは今春卒業の68回生3人がインタビューに答え、若さで華を添えてもらいました。40周年記念事業の一環で、それぞれの同好会が取り組んだ企画の紹介があり、年代もバラバラの元応援団メンバーによるエールや演舞の熱演に、今だからできるユーモラスなやり取りもあって大いに盛り上がりました。ねぶた囃と跳人の乱舞に故郷の夏の記憶が甦ります。前号の会報31号で紹介した遅咲きのねぶた師、37回生の林広海さんも参加されていました(写真15, 16, 17, 18, 19, 20, 21, 22, 23)。

例年通りであれば、企画と運営の幹事は44回生が受け持つところを、将来を見越しての調整を施すために、記念総会の今年は役員と総務委員会が企画幹事の役を担い、当日の運営には学生諸君のボランティア11名に加わってもらいました。受付と会計の幹事はこれまで通りの順番で31回生が担当しました。前年の参加者こそ少なかったものの、この日は35名が集結、賛助金のお願いという難しい任務が増えたにも拘わらず、見事なチームワークで乗り切ってくださいました。ありがとうございました(写真24、25, 26, 27)。

こうして40回記念の、そして平成最後の総会・懇親会は無事に終わりました。
来年の41回は企画・運営を44回生が、受付・会計は32回生が担当します。どんな年号になっていることでしょうか。また5月にお会いしましょう。

文:会報委員会 澤田 幸江(青高31)