Aomori on my mind
(ワがココロのアオモリ)
企画運営担当幹事 折笠 方紀(青高41)
唐突ですが、自分は東京生まれ♪青森育ち♪(以下略)です。
実家の家業を継ぐ親の都合で、三歳の時にYS-11のタラップから颯爽と青森の地に降り立ったワケですが、そこからはまぁ衝撃体験の連続でした。
まずTVをつけても民放がRABとATVしかない。戦隊特撮に夢中だったボクは、お気に入りの番組がほとんど見れなくなり、悶絶。
おまけに津軽弁がホントに全くサッパリ分からない。父の店に来るお客さんが自分に話しかけるのですが、何を言ってるのかもう全然わからない。言葉を覚えたての幼児にとっては大変な混乱です。とりあえず愛想笑いが上手な子供になりました。
もう東京に帰る、と親に駄々をこね、お気に入りのミニカーだけを鞄に詰め、通れるはずもない「あおもり駅」の改札まで行ったのは正直一度や二度ではありません。
でも……高校を卒業し上京、子供の頃あれほど恋い焦がれた東京生活が普通の日常となった今…
僕のココロは青森に帰りたくて仕方がないのです。じゃわめぐのです。
弘前城にサクラの花が舞ったと聞くと帰りたい。ねぶた囃子が夜ごと風に乗り街を漂う季節になると帰りたい。
テレビの旅番組で青森の特集をしてると、つい見てしまう自分がいます。
気が付くとインターネットのライブカメラで街の様子をチェックしてます。あ、今日は青森晴れてるね。
そんな自分を見て妻は呆れています。
そりゃそうです、良く考えてみれば自分にとって青森は<でっかい青春の思い出箱>なんですから。
良い事も悪い事もあったけど、今となっては嫌いになれるはずもない大切な場所なんです。心の故郷です。
レイ・チャールズにとってのジョージア、自分にとってのアオモリ。ココロ還る場所。
東京同窓会にお集まりの皆様も、きっとあそこに、あの切り株とマサカリで象られた本州最北端に、青中・青高女・青高に、10代の自分を沢山遺していらっしゃるはずです。だから、年に一度、東京で集うこの同窓会もまた、きっとココロ還る大切な場所の一つなんだな、と。
今回、宴の準備にあたり、卒業から20余年の時を経て、程よく枯れた同期の面々と久々に再会でき、また、自分と青森の関係を見つめ直す良い機会になりました。
呼びかけに快く応じ、ほぼ1年に渡り集合準備に尽力してくれた41回生の仲間達に感謝、企画の立案実行を温かい目で背後からサポートしてくださった橋本会長以下、同窓会運営の先輩方に感謝、そして、同窓会にお集まりいただく皆々様に感謝です。
当日は多くの皆様が笑顔で再会できるよう、そして、ココロのアオモリを感じられる良い宴となるよう、41回生一同、精いっぱい頑張らせて頂きます。
決起に参集した41回生のみなさん