当番幹事を終えて(39回生)

当番幹事を終えて


進行担当 萩原(気田)祥子(青高39)リストへ

25年ぶりの再会、再会といっても初めて話す人ばかり。
でも不思議なもので、何の壁もなく…
毎月の打ち合わせは、気が緩んで安心できる場と時間になりました。
25年の時を経て、働き盛りの今だからこそ、同窓生が、しかも東京に集う意味。
本当に得がたい、貴重な貴重な経験ができました。
事前準備から当日まで、それぞれが得意な分野に進んで取り組み、ひとつのものを作り上げ。

誰か一人欠けてもできなかった、全員参加の素晴しい舞台でした。

先輩方には様々なアドバイス、また温かい目で見守ってくださいましたこと、心からお礼を申しあげます。

39回生のキーワード「ありがとう」。

この言葉をあらゆる人に伝えたいです。みんな、ありがとう。


誘導担当 種市康太郎(青高39)リストへ

当日は「誘導係」として、年配の先輩方の座席誘導、第2部と第3部のドンデン(舞台転換)時の退場・入場の誘導を行いました。座席誘導は「前から詰めて」と伝えても、同期を探すため後方に座る方がいて、そうすると、写真を撮る際に前の空席が目立って困ります。あまり無理にすると嫌な感じがしますが、例えば、最初は後方の椅子席にはビニールロープを張って、最初は前から10列目までに座って下さいとアナウンスしてもいいかもしれません。

ドンデン20分は短いです。ホテル側は「全員が退出してから15分でいいと聞いていた」と主張されていたので、退場・入場の時間を加えると30分はかかりました。来年は第2部と第3部の間を長くするだけでなく、第1部と第2部の間にも休憩時間を15分程度入れて余裕を持たせるとよいと思います(結局、総会は押しますから)。

あと、300人以上が退場するのでホールではスペースがありません。1階まで降りるよう誘導して下さい。大きい声でないと伝わらないので、係りの方は声が出る方が良いでしょう。受付係との連携も重要です。

最後に、第3部、前方の座席の年配者の方からお酒(特に田酒)のリクエストが多くありました。ホテルのサーブの方もいますが、人が足りません。できるだけ、幹事スタッフが田酒を持って周りを回ってご用聞きをするといいでしょう。

スタッフの一人として関わり、組織的な動きができたことをうれしく思っています。来年度の幹事年の皆さんにも期待しています。


同期受付 山上昌志(青高39)リストへ

当日は、遅れて会場入りする同期の案内係として受付近辺で待機。総会の開会後も続々訪れるOB・OGの姿をパートナーと二人で何気なく目で追っていると、菊の間の重厚な扉の開閉に一苦労されている年配の方々が目につき始めました。お年を召された方には確かにあとドアは重いよなと思っていたら、「誰かがドアを開けてあげたらいいのにね」とパートナーがつぶやいたので、本業を疎かにしない程度に急遽ドアボーイも兼ねてみることに。実際にやってみると、老若男女が集う当同窓会ではこれもきわめて基本的な「おもてなし」のひとつだなと改めて実感した次第。来年以降の改善点として検討していただけたら幸甚の至りです。

どちらの幹事が担当すべきかは見解の分かれるところでしょうが、人手が足りないようなら来年も私が出しゃばりましょうか(笑)。


講演会担当 千葉敬(青高39)リストへ

昨年10月13日、2年半の海外駐在から帰国した翌日でした。中野で開催されていた「青森人の祭典」、ただ懐かしい顔に会いに行くために参加したイベントでしたが、それが私の「講演会係」の始まり。その夜の打合せ(飲み会?)でほろ酔い且つ時差ボケの私がボソっと言った一言、「親戚がねぶた作ってる」。みんながそれを聞き逃す訳もなく、同窓会での私の役目が決まりました。

私の「講演者係」としての活動はそれだけです。あとは、それぞれ人生経験を重ね、一回りも二回りも大きくなった同期たちがまるで『25年後の放課後』のように楽しみながら、時にはキュンとしながら作り上げたのが今年の「青高東京同窓会」でした。

我々39回生をご支援頂いた、全ての関係者の方々に感謝すると共に、このような場を作ってくれた「青森高校」に感謝です。


アトラクション担当 辻村太郎(青高39)リストへ

「辻村くん、懇親会のアトラクション、何か考えて!」
25年前に同じ3年4組だった気田さんに突然呼ばれた酒席で、まるで「購買部でジャムパン買ってきて!」とほぼ同じトーンの軽さでアトラクション担当を任命されたのが2012年11月10日。

懇親会の意味も規模も全く把握しないまま、飲み会の余興でしょ?程度の認識で昨年の参加者たちに会場の様子を聞いてみると、400人を超える人たちがそれぞれに旧友たちと久しぶりの再会を懐かしみ、おしゃべりに夢中で全体的に「ザワザワ」している。そして、着席しているのは年配の方々や主賓や来賓の方々だけで、多くの人たちは「立っている」ということでした。

なるほど…そんな空気の中でストーリー性のあるもの、ルール説明が必要なことをやっても絶対にスベるな、と脳みそを切り替え、とりあえず当日の会場をイメージ。
「ザワザワ」と「立っている」という2つの要素から、ポーンと頭に浮かんだのが「山手線のドアの上にあるモニター」でした。車内の人向けに美容にまつわる情報やグルメガイドを流しているアレです。多くの乗客が乗り降りし、吊革に捕まって立っている人の暇つぶしになっている、あのモニターと同じ発想で企画すれば、そんなに大きく外さないのでは?と考えました。

というワケで、会場の皆さんのおしゃべりを出来るだけ邪魔せず、立っている人たちの疲れを癒し、会場の人たち全員が興味を持つテーマ「青森高校の今」をテンポ良くクイズ形式で紹介していけば、ルール説明も必要なく、気軽に楽しめるのではないかと思いました。
そこには、私たちの頃には無かった修学旅行や新しくなった校舎など「知っているようで意外に知らない青高の今」なら、まさに今の私自身が知らないことをそのままクイズすれば良いだけなので問題作成にさほど苦労しないだろうという安易な読みもありました。

さらにもう1つ、すっとひらめいたのが、定期的に行われる打ち合わせと称する同期生の飲み会で、必ず盛り上がる"卒業アルバムをめくりながらのトーク"。懐かしい同級生の顔や担任の先生、かつての恋人、片思いだったあの人の顔を見ながらワイワイする、あれをそのままやればシンプルに面白いし、おしゃべりのキッカケになるし、同窓会ならではの空気をより感じるのではないかと考えました。

こんな思いつきで「青高の今クイズ」と「卒業アルバムのスライドショー」という2つのアトラクションプランが決定。早速、クイズの内容と卒業アルバムを撮影するために、現在青森高校で教師をしている同期の前田君に学校の撮影許可を始めとする様々なお願いをしました。

難航すると思われた学校の許可が割と簡単に下り、3月16日と17日の2日間で撮影。
まず、どうしても見つからなかった1回生の卒業アルバムを除き、2回生から39回生までの38冊の卒業アルバムを学習センターの床に並べ、年度順に1冊ずつ撮影を開始。アルバムの表紙を撮り、およそ400ページに及ぶクラスの集合写真を1ページずつピントとサイズを合わせて撮影するのは思ったよりも手間が掛り、初日で半分も終わらず、こりゃ、かなりメンドーだなぁ〜と正直、後悔モード。結局アルバムの写真を全部撮り終わるまでに10時間以上掛ったのではないでしょうか。

さらに、撮影の合間に前田君と雑談しながらクイズ問題を考案。実は私と前田君は高校時代にはほとんど会話したことがなく、初めて会話する同窓生と過ごす時間は、懐かしさというより、良い意味での違和感と新鮮味を感じる事ができ、これはこれで懇親会の準備をする醍醐味だなぁ〜と思いました。

その他、校舎の雑景や購買部の山田さんのインタビューなど、2日間に渡って朝8時から学校が閉まる夕方5時まで行った撮影はあっという間に終了。ちなみに、今年で80歳になる山田さんは驚異的な記憶力の持ち主で、25年振りに校舎を訪ねた僕のことを「覚えてるわよ〜!本谷先生のクラスの子よね」と、ズバリ言い当てる凄さ。もしも本当だったら今すぐにバラエティ番組のネタにするぐらいの話ですが、恐らく前田君が事前に入れ知恵したんだろうと思ってスルーしています。

撮影を終え、4月下旬から編集作業がスタート。まず「青高の今クイズ」では、大きく3つのことに気を付けました。
1つ目は1問毎の時間。長過ぎても飽きるし、短過ぎても意味が分からない。そこで、ここでも参考にしたのが山手線。山手線の主な駅間の所要時間である2分前後に収めることで、現代人の感覚に合った時間設定にしたつもりですが、どうだったのか。
2つ目は写真だけで構成していくとどうしても淡々としてしまうため、途中に山田さんのインタビュー動画の問題を途中に盛り込むなどクイズの配列に緩急を付けたつもりですが、どうだったのか。
3つ目はVTRのタッチです。テロップやSE、音楽やナレーションをどこまで派手にするか?
高齢の方々も観る事を踏まえれば、NHK的な落ち着いたタッチの方がハマるのかも知れませんが、懇親会というザワザワした中で観てもらうことや、「Qさま!!」など最近の人気クイズ番組が広告業界で言うところのF3&M3という50歳以上の人たちに受けている状況から、あえてバラエティ番組的な派手なタッチで行くことにしましたが、どうだったのか。

以上の3つの狙いが果たしてどこまで効果的だったのかが気になるところです。

一方で「卒業アルバムのスライドショー」は、クイズとの差別化を図るため、落ち着いたタッチでまとめつつ、CGでページをめくる動きを付けたり、年度毎にその年に流行した曲を付けたりすることで、懐かしい同窓生の姿と往年の名曲の心地良さ、そして「この曲ってこの年に流行ったんだぁ〜」というちょっとした情報で多角的に楽しむことができる工夫を施しました。

ざっと、以上のような作業工程と考え方でアトラクション用VTRを2つ作りましたが、その根底にあったのは「青高愛」です。自分たちが学び、青春を過ごした「青高」を自分なりの方法で紡いでいきたい。今、自分がココにいることの意味と意義を強く感じたいという想いでした。青高を卒業して25年、青森を離れて東京で仕事をし、生活していく中で、あの頃抱いた未来や夢に果たしてどこまで近づいているのか、ちゃんと立っているのか、思ったようにうまくいっていること、思った程うまくいかなかったこと、そんな事を感じながらの作業でした。とはいえ、独りよがりになっていないか、何度も冷静に精査し、会場にいらした方々にしっかり喜んでもらえるように、共に準備をしてきた仲間にチェックをしてもらいながら進めてきたつもりではあります。

今回、こうした経験をさせて頂き、改めて伝統と歴史の重さを実感し、繋がっていくことの素晴らしさと故郷の仲間の大切さを知ることができ、幹事代という役割の奥深さと面白さを感じることができました。

今回のアトラクションが果たして受けたのか否かは、来年の同窓会で答えが出るのではと密かに楽しみにしています。


写真担当 館山佳尚(青高39)リストへ

巷では三本の矢がニュースを賑わせていますが、今回の39回生写真班はさしずめ3つの驚愕といった所でしょうか?写真班がスタートしたのは4月、テーブルごとの記念撮影は撮影者2名で30〜40分位かな〜と呑気に構えて精養軒幹事会に行った所、衝撃が。まず会場は暗いし人はすぐ無秩序になるから、2人だと回りきれない、ストロボは強力なものになど、安穏とした雰囲気が一転。これが第1の驚愕。

それでも何とかデジイチ撮影隊を3つ作り、人員誘導するリーダーも決め、写真班を手伝ってくれる人も増えて何とか段取りが固まった所で、同窓会前日に着席卓の半分が自由席で回期がバラバラであることが判明。さらに当日はカメラの1つが動かなくなって、急遽撮影者とカメラを変更。コツコツ積み上げてきたモノがあっさり崩壊する第2の驚愕。

開き直った写真班(この時には総勢22名)メンバーは互いにポイントだけ確認して、懇親会の乾杯の合図と同時にいざテーブル記念撮影スタート。すると、あれ〜何かうまいこと撮影が進んでいくような…。終わってみると出し物で会場が暗くなる前の15分間で無事撮影終了。その伝説的なスピードとクオリティに誰もが感じた第3の驚愕。

晴れて我々39回生の団結力、機転、行動力が見事に示された写真班でした〜。39回生幹事の皆さんお疲れさまでした。


酒肴担当 中村恭子(青高39)リストへ

バスケ部の先輩に再会して同窓会のことを知ったのが2年前。同窓会に初めて出席したのが1年前。当番幹事を引き継いだものの、当時は心細く本当に不安でした。そして今年、個性豊かでデキる同期がたくさん集まり、諸先輩の支えもあって、無事、同窓会を終えることができました。酒肴・テーブルサーブ担当として、個人的に反省はありますが、テーブルを回り、先輩方と触れ合うことができたのは、温かく楽しい思い出です。

準備期間を通じて、同期の仲間とも改めて知り合うことができました。私は集まったメンバーとは在学中に付き合いがなく、話したこともあまりなかったのですが、すぐに打ち解けて、軽口をたたけるのが不思議でした。この感覚が「絆」なのかもしれません。忘れていた昔の自分を思い出し、今の自分に通じる原点を考える1年でした。


青森の味担当 飯村(下村)美菜子(青高39)リストへ

「青森の味」を担当した下村(飯村)です。
今回の「青森の味」お楽しみいただけたでしょうか。
やっぱり一番人気は、田酒でしたね!

一升瓶を抱えて、元気な大先輩の各テーブルを回れて、楽しかったです。
酒肴は昔なつかしに加えて、最近人気の青森の味を揃えてみました(私ごのみ色が強すぎたでしょうか?)。

全体的に茶系だったので、もうちょっとわかりやすい&詳しい各々の説明を付けたほうが、皆さまのご興味を引けたかな?と反省しています。


ねぶた班リーダー 木村臣(青高39)リストへ

跳人9名、お囃子1名参加させていただきました。40回生の後藤さんに着付けしたもらい久々に身に着けた跳人衣装にワクワク…そして、会場入り。お囃子会の皆様の演奏による青森の人なら誰でも心が躍るお囃子に気分も最高潮に…。

「アタマの中のイメージは"あの時、華麗に跳んでいた自分"…でも、カラダがついていかなかった十数分間…」が、参加メンバーの正直な感想です(汗)ただ、終わった後はみんな心からの笑顔でした。参加した全員が、本当に楽しくまたとても貴重に感じた時間でした。


司会補助 山本(久保田)綾子(青高39)リストへ

当日は、司会者の横にぴったりと張り付いて、赤ペンで司会者の台本に線を引きながら、タイムキーパーをしている辻村君の指示を伝えていました。また、会場にいるスタッフの「こういう放送をしてほしい」、たとえば、前の座席が空いているから詰めていただくようアナウンスしてほしいなどの要望があったら、それを伝えたりもします。

スケジュールや台本は打ち合わせを重ね、しっかり作ってはいたのですが、やはり当日は思う通りに進まないことがあり、そんなときにまずタイムキーパーの辻村君が時間を分単位で調整し、私に指示を出します。私はそれを台本に書き込んで司会者につたえるのですが、二人とも本当のプロなので、そういう急な対応にもまったく動じず淡々とこなしていました。

1年間、みんなと一緒に文化祭を作ってきたようなとても楽しい時間だったので、台本のセリフを赤ペンで一つ一つ消していき、最後の部分に線を引くときはぐっと胸に来るものがありました。

同期の皆さん、ありがとう。

この東京青高同窓会を繋いできてくださった先輩方、ありがとうございます。

そして、40回生の後藤君、来年も楽しみにしています!