近年の活動の振り返り
東京青高同窓会 副会長 成田龍信(青高23回)
副会長の任期はまだ2年を残していますが、ここ数年間の東京青高同窓会について振り返ってみたいと思います。
私自身は大学が関西であったため関東地区での同期との交流も限定的でした。さらにその後の第二次オイルショックでの就職難もあって、東京に出てきたのは大学卒業後2年を経過してからでした。大学を出て順調に就職していた同期とは、どこかわだかまりもあり積極的な交流はしませんでした。
1. 当番幹事として
そんな私に、声がかかってきたのは40歳も近くなったころで、仕事も家庭も落ち着いてきた頃でした。「数年のうちに我々の回期が懇親会幹事をしなければならない」ということでした。このころになると上京当時のまもなくのわだかまりも薄くなってきており、毎年参加するようになり、平成9(1997)年5月17日(金)の第18回東京青高同窓会総会の懇親会を同期20数名と何とかこなしました。
その後は、仕事も「脂ののる」時期となり、出席頻度も低下していきました。そんな中、平成21(2009)年なかばに、「来年度は受付担当」ということで声がかかってきました。この年7月に大病していて、「体調次第」ということで、お手伝いすることとなりました。翌平成22年5月22日(土)第32回東京青高同窓会の受付を同期20名ほどで事故もなく無事こなしました。このころ、会社では2度のM&Aの責任者をするなど大変な時期で、同期との飲み会には顔を出しても、当会のことは頭に残っていませんでした。
2. 副会長全員による運営体制へ
ところが、平成24年(2012)2月17日に突然同期からのメールで、副会長就任の打診が来ました。畳みかけるように新橋に呼び出され、私からは当会幹事の経験もなくまた幹事会などにも顔を出したこともなく「適任ではない」と反論するものの、同期3人から「我々の期だけ副会長が空欄となっており、幹事会や会報の発行が止まっている」と脅され、納得はできていなかったが、承知することとなりました。
そして3月の幹事会で初めて役員・顧問の方々と顔合わせし、5月19日(土)の第34回東京青高同窓会に臨むこととなりました。これはすでに前体制で準備万端であったので、ただ顔を出しただけとなりました。
その後、月一回(以上)の正副会長連絡会・役員会・幹事会・総会準備会・総会などの会合が目白押しでした。橋本(前)会長の新しい執行部では、役員全員が現役のサラリーマンであることで、会合の場所も区の会合場所を借りたり、時間も金曜日の午後7時開始などと結構厳しいものもありました。
従来は、執行部幹部の方々の職場やご家族のご支援で運営してきたものを、我々は自らこなしていく必要がありました。総会案内や会報発送も各同期会幹事へ送り、各自で封入後に一か所に集めたうえで宅急便に渡すなど大変な裏方業務が見えてきました。正副会長連絡会で議論を重ねたうえで、これまでとは異なった切り口で、運営業務の効率化・軽量化を図っていくこととしました。具体的には、発送業務は、各同期幹事からいただいた発送リストを事務局としてデータベース(DB)化して一律に扱い、封入発送作業を外注化することでした。このためには、まず個人情報保護法に基づいて、このデータベースを管理していくためにプライバシーポリシーの策定に取り掛かりました。これらの作業の中で、従来の会則と現状の運営に若干の差違があったり不明瞭であったので、この改正も視野に入りました。結局、この二つの課題は平成26年(2014)の第36回総会で実現できました。
3. 資料の電子化推進
この間、前任者に引き継がれてきた文書類は相当数電子化してきました。また各種の連絡にはML(メーリングリスト)を活用したり、WEBでの発信等も進めてきました。現在では、これらを活用しながら、各同期幹事の協力を得てDBの精度も上がり、発送業務や総会受付資料等は円滑に運営できるようになりました。この部分では、これから当会を担っていくであろう方々の負担は相当に低減できたものと考えています。
4. 今後の課題
最後に、現在の当会の課題についてです。私が執行部に関わったころの総会案内・会報の発送数は3,400名ほどでしたが、直近では2,900名ほどとなっています。これは日本全体と同様の構図となっています。ベビーブーム世代はまもなく後期高齢者となりますが、この世代のころ青森高校卒業生は毎年650人程度いましたが、昭和48年卒業生の私の代では435名ほどとなり、現在では280人となっています。したがって当会への新会員は少なくなっており、主要会員層は急速に高齢化しています。併せて、若年層はSNS等の交流機会の充足により同窓会活動にはなかなか参加できていない状況です。
私が、今回の「振り返り」を書きながら思い起こすと、自身も同窓会活動に積極的に参加していた訳ではなかったと思います。しかしながら、還暦を過ぎ一線を引いた今、「同窓会活動は間違いなく自分の人生の幅を増してくれた」ことは間違いないと考えています。
また5月に上野の杜でお会いしましょう。