当番幹事を終えて(青高32回)

私の故郷はここにある

受付担当 福原 幸代(青高32回)

令和の時代が開けてまもなく、第41回東京総会・懇親会が行われました。会場の窓からは、上野の杜の目にも鮮やかな新緑と眩い陽ざしが差し込んでいて、私たち同窓の未来も明るいと感じました。

今回の総会は32回生が受付担当とのことで、すっかりご無沙汰してしまっている私も参加。年賀状等でお付き合いのある方にもお声かけして、懐かしい同期との再会の場となりました。当日は関東のみならず遠方からも男性11人、女性17人が集合。幹事が作ってくれたレジュメを元に、皆てきぱきとそれぞれの役目を滞りなく遂行。

さすが青高生!と思いました。

私は父の転勤の為、青高時代の三年間のみを青森で過ごしました。全国各地を転々としていたので、故郷といえる場所もありません。総会の会場で耳にする津軽弁がとても懐かしく、同窓の方が皆温かく、私の故郷はここにあるのだなあと思いました。

青高時代はあまり話す機会のなかった方でも、同じ学び舎で学び、今この時を共有しているというだけで、ぐんと近く感じました。青高時代から今までのそれぞれの軌跡を伺うと、今後の人生の活力にもなりました。これこそが同窓会の醍醐味なのだと感じました。

かつての恩師にもお会いできて、懐かしく幸せな気持ちで会場を後にしました。

当番幹事を終えて32回 当番幹事を終えて32回
当番幹事を終えて32回 当番幹事を終えて32回

当番幹事を終えて(青高44回)

一を聞いて十を知る仲間たち

企画担当 佐々木 渉(青高44回)

思い起こせば5年前に代表幹事の盛くんから「東京の青高同期で飲み会やらない?」と連絡が来た時から、令和元年5月12日へのカウントダウンが始まりました。

同期飲み会の必需品は「卒業アルバムの集合写真」です。昔の写真と見比べて、昔と変わらないだの、太っただのと、デリカシーのない?!ことを言い合いながらも卒業から20年の時間が戻るのはあっという間でした。
幸いなことに、昨年の40回記念総会が挟まったことにより、準備の期間が1年長くなりました。さらに、5月東京→8月青森という同窓会の開催順が8月青森→翌5月東京になったことで、8月の青森同窓会で東京同窓会への参加呼びかけができたことは、我々にとっては非常にラッキーなことでありました。

勧誘活動の結果、30名を超える同期の協力を得ることができ、また講演者として、京都大学教授の奈良岡君や公立はこだて未来大学准教授の寺沢君にも協力いただきました。講演タイトルを見ただけでは浅才なワタシは正直「果たして理解出来るのだろうか」と思っていましたが、おふたりの解り易い講演は青高OB・OGの皆様の知識欲を存分に刺激したことと思います。

同期の仲間たちのポテンシャルの高さにも脱帽でした。まさに「一を聞いて十を知る」人たちばかりで、幹事団としては非常に頼もしいメンバーばかりでありがたかったです。中でも代表幹事の盛くんの緻密な資料には脱帽です。今回作成された各種資料は「盛メソッド」として後輩たちの同窓会運営に寄与していくと思います。本当にお疲れ様でした。
また、43回生の三ツ谷先輩には総会・懇親会についての相談だけでなく、応援団チームの練習にもお付き合いいただき本当にありがとうございました。

最後になりますが、このような機会を与えていただきました諸先輩方にこの場をお借りしまして感謝申し上げます。

当番幹事を終えて44回 当番幹事を終えて44回
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